大怪獣まんだら

GIGAN YAMAZAKI & WAGAYA FACTORY's blog

竹ノ塚ファイナンス


パシフィック・リム』を語るとき、日本の影響が云々みたいな話になりがちだ。ここが日本である以上、それは致し方ないし、日本の怪獣映画やロボットアニメのエッセンスが盛り込まれた“俺たちの映画”ではあることも間違いない。だが、怪獣や巨大ロボットなんてモノは、とうの昔に彼らの文化の一部になっている。今やハリウッドのほうが、よっぽどたくさんの怪獣を生み出しているじゃないか。そもそも怪獣の元祖は、『ゴジラ』じゃなくて『キング・コング』。彼らのほうが先輩である。そして『パシフィック・リム』に登場する怪獣たちも、ギレルモ・デル・トロならではの味付けがなされていた。


ただ、それぞれの怪獣の見分けがつかないという意見もまた、まったく理解できないものではない。実際、トレスパッサー(アックスヘッド)とスカナーのボディは、ナイフヘッドのデータを使い回している。まあ、怪獣に興味のない人間でも一発で覚えられるような強烈な個性はないかもしれないが、その省エネ効果で130分に12体もの新怪獣がぞくぞく登場する前代未聞の大特撮映画が誕生したことは言うまでもない。
AKB48だって、ひとりひとりを認識しているのはアイドルファンだけだ。一体一体の区別がつかない人は、いっぱい怪獣の出てくるゴージャスな映画として、その圧倒的な情報量に溺れて欲しい。で、怪獣ファンからしたら、3体の怪獣が同じ身体なのは、むしろ嬉しいポイントだったりする。微妙な違いに喜びを見出すのが、ジャンルを問わずマニアという人種ですから。ナイフヘッドは、現代の青ワニバラゴンと呼ぶに相応しい存在だ。


それに怪獣のプロである俺に言わせると、個性豊かな怪獣=魅力的な怪獣とは限らないんだよね。才能あふれる現代芸術家がうんうん唸って考え抜いた怪獣よりも、そこら辺のガキやオッサンが適当に考えたような怪獣のほうが意外とイケてたりすることがあるんです。たとえば、ゴアゴンゴンとかバロンザウルスって、すげーカッコいいじゃん。何の意味性も深みもないが、即物的なカッコよさで貫かれている。ドラゴンでもない、恐竜でもない。怪獣は、ただそれだけでいいことも多々あるのだ。
もちろん、『パシフィック・リム』の怪獣デザインは、世界のトップクリエイターたちが、まさにうんうん唸って考え抜いて創造したものだろうけど、それが一周して昭和のガキやオッサンが適当に考えた怪獣みたいなテイストになってるところが愛おしい。おそらく怪獣のことばかり考えているうちに、右も左も怪獣であふれ返っていた時代の日本人の境地に辿り着いてしまったのではないか。海の向こうのメキシコ人に、自分と同じピープロ魂を感じ取ってしまったぜ。しかし、そう考えてみると親玉のプリカーサーのイメージソースって、ヤプール人じゃなくてゴアやゴリなのかもしれないなあ。


侵略者の生体兵器としての怪獣軍団というと、『ウルトラマンA』の超獣を思い浮かべる人が多いかもしれないけれど、実はピープロの常套手段であり、『マグマ大使』や『宇宙猿人ゴリ』のほうが断然早い。キングギドラが先鞭をつけた“用心棒怪獣”というジャンルは、ピープロによって育まれ、『パシフィック・リム』で花開いたと言っても過言ではないだろう。ゴジラがそうであったため、荒ぶる自然の化身こそが怪獣のあるべき姿、そうでない連中は一段低いと思われがちではあるものの、これはこれで日本怪獣史においてかなり早い段階から試みられていた王道アプローチなのだ。
自分はまあ、ガイガン山崎と名乗るくらいだから、ロクなバックボーンも与えられず、ただただ主人の命令と本能の赴くままに暴れまわり、何の含みもなくコテンパンにのされる怪獣たちに強く惹かれてしまう。見てくれと能力がすべて、これをストイックと言わずして何と言う。『パシフィック・リム』は、ただただシンプルに怪獣をブチのめして平和を取り戻すというストイックなストーリー構成が大きな魅力になっている映画だが、当の怪獣たちもまた実にストイックな連中揃いだったことを主張しつつ筆を置こう。



PACIFIC RIM KAIJU KNIFEHEAD/NECA

PACIFIC RIM KAIJU AXEHEAD/NECA