大怪獣まんだら

GIGAN YAMAZAKI & WAGAYA FACTORY's blog

心に愛を抱いた正義のハンター


……えー、これで終わってもいいんですが、ついでだから怪獣退治について、ちょっとマジメに考えてみよう。怪獣とは、つまるところ災害クラスの猛獣のことである。『レッドマン』に限らず、悪意なんてものはなくて当然の存在。しかし、何らかの手段を講じて駆除をしなくてはならない。大勢の人間の命が懸かっているのだから。
たとえば、虫歯怪獣シェルターが可哀想に思えるのは、僕らがテレビの外から対岸の火事のように出来事を眺めているからであって、きっとその出現で決して少なくない数の人間が死んでいる。おまけにストリウム光線をはじき返すほどの強力な怪獣だから、ウルトラマンタロウも倒さないワケにはいかなかったのだ。


さて、慈愛の戦士・ウルトラマンコスモスほどではないものの、タロウも多くの怪獣の命を救ったウルトラ戦士だ。で、そんなタロウが倒さなかった怪獣を挙げると、トータス親子、ボルケラー、フライングライドロン親子、キングゼミラ、パンドラ親子、ヘルツ、モチロン、モットクレロン、オニバンバ、メモール、ピッコロ、ゲラン、ベロン、オルフィ、ガラキング辺りか。親子怪獣が目立つが、もとより戦闘力が皆無、あるいはそれを喪失させることで命を奪わずに済んだケースも多々あったと記憶している。


例外はモチロン、オニバンバ、ベロン、ガラキング……。いずれも高度な知性を有する怪獣、言ってしまえば妖怪の類だ。モチロンやガラキングは、あちこちを破壊して回っており、確実に死者も生んでいるのだが、タロウは赦している。彼らとシェルターの運命の分かれ道は、知性を持っているか否か。ただそれだけのことだったように思える。要するに乱暴者ではあるものの、猛獣ではなかったということだ。きちんと灸を据えてやれば、もう二度と地球に近づくこともないだろうから殺されなかったのである。あのジャミラも、タロウの時代に帰ってきていれば死ななかったかもしれない。


閑話休題。タロウもコスモスと同様、なるべくならば怪獣を倒さずに事態を収拾しようと考えていたことは間違いない。もっともクイントータスは一度殺しているし、ボルケラーやメモール、ゲランも生かさず殺さずの考えようによってはヒドい処理の仕方だったが、相手は話の通じない災害であり猛獣である。大抵の場合においては、命を奪わずとも徹底的に叩きのめすしかない。そもそも彼の任務は地球防衛であり、人命救助こそが最優勢事項だ。怪獣を救うために手加減して戦い、その結果として街や人間が犠牲になってしまっては本末転倒。そして、何よりも自分自身の命が危ない。ウルトラ兄弟最強の戦士にとっても、怪獣との戦いは常に決死の行為なのだから。


しかし、そう考えてみるとレッドマンの強さはどうだ。週に二度も三度もブラックキングやゼットンのような強敵と戦いを繰り広げている。『レッドマン』の舞台が、地球のどこに存在するのかは寡聞にして知らないが、多々良島が裸足で逃げ出すほどの怪獣無法地帯であることは間違いない。たった3分間しか戦えないウルトラ戦士では、とても対処できなかっただろう。というか、思えばウルトラマンエースが、ヤプールや超獣への対応に専念できたのも、水面下におけるレッドマンの活躍があったからではなかろうか。レッドマンがいなければ、毎週のように「怪獣対超獣対宇宙人」が勃発していたかもしれない。


つまりウルトラ戦士が警察官ならば、レッドマンマタギなのだ。山奥で増えに増えた怪獣たちを人知れず狩り続けるハンターなのだ。だからレッドマンは、確実に怪獣の息の根を止める。「たおれた熊には必ずとどめをさすこと」、これは熊撃ちの鉄則である。そう。レッドマンのプロフェッショナルな戦いの上に、地球の平和は築かれていたのだった! う〜む、残虐非道ファイトの裏のやさしい心を俺は見てしまったぜ。ありがとう、レッドマン! やったーカッコイイ――――