大怪獣まんだら

GIGAN YAMAZAKI & WAGAYA FACTORY's blog

シャカ! もっとも神に近い男


活字プロレス、という言葉がある。ものの本に拠れば“試合の詳細そのものより、書き手の主観によってその試合の意味を考えていく手法”のこと。『週刊ファイト』のI編集長によって開拓されたこのスタイルは、90年代の『週刊プロレス』黄金期に隆盛を極め、肝心の試合は観なくとも『週プロ』の記事はチェックするという活字プロレスファンまで誕生したといわれている。自分は熱心なプロレスファンではないものの、ツイッターなどでアイドル……特に48グループについて熱っぽく語ることがままある。しかし縁もゆかりもない美少女を愛でる感覚を持ち合わせていないこともあって、実は彼女らの本分であるところの劇場公演やライブコンサート、握手会に参加したことは一度もなかった。もちろん、オンデマンド配信やソフトが充実している世界なので、これは!と思ったものはチェックしたりするし、深夜のアイドルバラエティは原稿執筆の際の定番BGVだったりもする。また、どこか琴線に触れるMVが撮られたりすると、おまけのDVD目当てでCDを購入することだってあるのだが、アイドル関連で何に一番カネを使ったのかを考えてみると、毎月発売されるサブカル誌『BUBKA』な気がしてならない。48グループ内のイベントや騒動を、『BUBKA』執筆陣はどう解釈するのか。自分もまた、一緒にどんな意味があったのか想像、深読みしていく。そしてスキャンダルが発覚すると、すぐさま2ちゃんねるまとめサイトに飛ぶ。そこで渦巻くファンの怒り、哀しみ、これまさしく甘露。つまり自分は、活字プロレスファンならぬ活字48グループファンだったのだ。


須藤凛々花の結婚騒ぎのときにも書いた気がするが、48グループの本質は大人に翻弄される少女たちをエンタメ化した悪趣味極まりない残酷ショーである。当然、だから嫌いだという人もいれば、そこがいいという人もいる。自分の場合は後者だが、これはどこまで行っても他人事だからだ。清水富美加の出家騒動の際の落ち込みようを見れば分かるように、結局は人の子なので知ってる女の子が辛い目に遭っていたら胸が痛む。だから自分とアイドルの距離感は、これくらいがちょうどいい……と考えていたんだが、ここからが本題。かくの如き自分が、ついに乃木坂46のライブに足を運んでしまったのだ。
なんでまた急に宗旨替えをしたのかといえば、特に理由はない。最近どんどん痩せてきた知人の編集者(数年後には消滅しているだろう)に誘われたとき、なんとなく楽しそうだなと思っちゃったのである。強いて理由を挙げるならば、乃木坂で何度となくセンターポジションを務めてきた生駒里奈ちゃんだ。とても可愛らしいお嬢さんだが、別にファンというワケではない。数年前、朝の子供向けバラエティ番組『ピラメキーノ640』内のミニコーナー「ゴジラ専門学校」で共演していたのである。企画の性質上、生駒ちゃんは怪獣について何も知らないというていで進行していたのだが、オタク気質で男兄弟もいる彼女は番組スタッフよりよっぽど詳しく、カメラが回っていないときも完全アウェーな自分に気を遣って、メカゴジラモスラの話題を振ってくれてありがたかった。で、そんな生駒ちゃんの晴れ舞台を観てみるのも一興かなと思った次第。我ながら、ちょろいね。


さて。人生初のアイドルライブはどうだったのかというと、これが存外おもしろかった! 人間、何でも経験してみるもんだ。デビュー直後の生駒ちゃんといえば、芸人から少しイジられただけでびーびー泣いてた姿が印象に残ってるんだけど、そんな過去を一切感じさせない堂々としたパフォーマンスとトーク力を見せつけられて、本当に立派になったねえと感心してしまった。特に45人のトリとして、初めてステージに姿を見せたときの彼女には、かの黄金聖闘士に勝るとも劣らない迫力があり、しかもアリエス、タウラス(トーラス)、ジェミニ、キャンサーなんて歌い出すもんだから、三十路を越えてなお小僧の自分としてはうろたえざるを得ない。やっぱりアイドルが最も魅力的に輝ける場所は、こういったライブイベントなのかもしれない。遠くのステージから10m、15mくらいのところまで駆け寄ってきたときは、ほんの一瞬だがアイドルファンの気持ちに近づけたような気がした。これは確かにドキドキする。TV収録のときによっぽど近くで接していたにも関わらず、だ。当時は気付かなかった、とてつもない小宇宙(コスモ)を感じました。


あと、意外な拾い物というか発見だったのが、乃木坂2期生の泥臭いドラマだ。どこか昭和プロレスを思わせるいかがわしさと不穏な雰囲気を持つ48グループに対して、乃木坂は上品で平和という印象があって、そこがいまいち乗れないところでもあったのだが、なかなかどうして。今回のライブは、まだデビューしたばかりの3期生のパフォーマンスから始まる期生別のセットリストになっており、3期生、2期生、1期生それぞれに固有の持ち場が与えられていた。オリジナルメンバーとフレッシュな新人に挟まれた2期生は、一番人気のV3と変化球のアマゾンに挟まれたXライダーみたいな存在だ。デビューして間もない頃、堀未央奈というメンバーのみが7枚目のシングル曲『バレッタ』の選抜に選ばれてしまい、しかもセンターポジションを任されたこと。それから2年後、13枚目のシングル『太陽ノック』では、堀も含めた2期生全員が選抜落ちしたこと。曲間のMCや映像でも苦労エピソードが語られ、そんな流れからの、2期生揃っての『バレッタ』歌唱。メンバーは目を潤ませ、肩を震えさせているファンも見受けられた。エモい、エモすぎる!


まあ、冷静に考えてみると、いたずらに彼女たちの人間関係をかき回し、不遇な扱いをしてきたのは乃木坂の運営であり、こんな盛り上げ方はマッチポンプ以外の何物でもないんだが、よく知らない子たちのことだから架空のキャラクターが織りなすドラマのように楽しめてしまった。それにアイドルなんてものは、精神的にタフでないとやってられない商売だ。プロレスラーや格闘家が、鋼のように鍛え抜かれた肉体を持っているように、彼女たちは鋼のような強いハートを持っている。そうでなかったら、とっくに辞めてるんじゃないか。実際、才能の有無に関わらず、普通の感覚を持った子は辞めていく業界だ。若い芸能人と接する機会が多い仕事柄、実感としてそう思う。当たり前の話だが、どんなに鍛えたところで殴られたら痛いし、どんなに図太いといっても落ち込んだり傷ついたりはする。でも、また立ち上がることができるのだ。不屈の闘志をみなぎらせてパフォーマンスをする堀未央奈と2期生を見ながら、そんなことをつらつら考えてしまった。
何はともあれ、とにかくカッコよかったぜ堀未央奈。でも無邪気に盛り上がっていたいから、敢えて何も調べないぜ堀未央奈。アイドルアイドルした可愛い一面とか見たくないぜ堀未央奈。今後も自分と何の接点もないまま生きてくれ堀未央奈。なんだこれ、生駒ちゃんじゃなくて堀未央奈の話になってるじゃないか堀未央奈


S.H.Figuarts スコーピオン・ゾディアーツ/バンダイ