大怪獣まんだら

GIGAN YAMAZAKI & WAGAYA FACTORY's blog

ほぼ一日一怪獣(バードン)


先日、まだ高校生だったがゆえに『ウルトラマンコスモス』の世界観に強い拒絶感を覚えたという話を書いた。十代の半ばから二十代前半にかけて、自分は一種の反抗期だったように思う。母親に暴言を吐いたり、父親に殴りかかったすることこそなかったが、ある意味において彼らよりも近しい存在であったウルトラシリーズに対しては、とにかく反抗的な態度をとり続ける毎日だった。それは同時に、トクサツと呼ばれるジャンル以外の映像作品に興味が向くきっかけにもなっており、この反抗期を経て、めでたくウルトラからの自立を果たし、適切な距離で接することができるようになったのである。*1


三十路を過ぎた今となっては、あははと笑って流せるようなことであっても、あの頃は怒り狂わずにはいられなかった。ただし、その怒りの対象は『コスモス』ではなく、『ウルトラマンメビウス』のほうだ。たとえ怪獣が非保護者になったとしても、『コスモス』の世界だけでのこと。それは『ウルトラマンマックス』にしても同様で、ちっこいゴモラボクっ娘のバルタン星人なんて、正史ともいえるウルトラ兄弟の世界にはいないのだ。ところが、『メビウス』は違う。ここで恣意的に歪められた歴史やキャラクターが、今後のスタンダードになっていきかねない。当時の自分には、承服しかねる事態だった。


たとえば『メビウス』では、第1話におけるディノゾールの襲撃は、25年と2ヶ月ぶりの怪獣災害と設定されている。つまり放送日から逆算すると、『ウルトラマン80』の最終回以降、一度も怪獣が出現していないということになるらしい。要はマニア向けの遊び、くすぐりの類だが、これではオオヤマキャップの「地球はやっぱり地球人の手で守らなければならん!」なる決意の台詞が台無しになってしまうし、なによりもウルトラマンGやウルトラマンパワード、ウルトラフォースの存在がなかったことにされてしまったようで寂しかった。特定の世代に対して、あまりにもデリカシーに欠けた設定じゃないか。


宇宙防衛網の完備と旧UGMの活躍によって、こと国内においては、十数年に渡って怪獣と星人の出現が確認されていない……では駄目だったのか? この番組、一事が万事この調子である。もちろん、ツインテールの海棲生物設定のように、特に原典との矛盾もなく、よりキャラクターに奥行きの出るアイデアもあるにはあったが、魔の山と呼ばれていたはずの霧吹山にハイキング客がいたり*2、ブレスレットボムで破壊されたバルダック星がまだ健在であるかのような台詞が飛び出したり、とにかくマニア受けを狙った結果、マニアを苛立たせることが多かった。キジも鳴かずば撃たれまいとは、このことだろう。


その最たるが、往年の怪獣たちに加えられた新たな能力だ。霧吹山の霧は、サドラ自身が発生させていたものだったというくらいはまだいいけれど、さらに腕まで伸ばしてしまったら、それはもうサドラじゃない。まったく別の怪獣だ。自分の大好きなバードンも、クチバシから猛毒を流し込んでいたなんていう面白味のない強さの理由を持たされてしまった。しかも最後は、その毒を体内に逆流させられて負けるのだ。知らん間に付け足された生態のせいで倒されるなんて、バードンも納得いかないでしょ。結局、その後もバードンは毒設定を強調され続けることとなり、いまいちパッとしない弱点剥き出しの噛ませ犬ポジションに落ち着くのだった……。まあ、初代バードンが最強のウルトラ怪獣の一匹であることは変わりないので、別にいいんですけどね。これが大人になるということです。


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*1:適切な距離をとれている人間が、果たして一ヶ月に十ン万円も超獣ソフビに費やすものなのか? その判断は、賢明なる読者諸氏に任せます。

*2:霧吹山に隣接する、背の低い山を登っていたのかもしれないが、そこまでして霧吹山にサドラを再び出現させる意味はあったのか?