大怪獣まんだら

GIGAN YAMAZAKI & WAGAYA FACTORY's blog

パロディとオマージュの間に…

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『我が家ファイト』の重要なコンセプトのひとつに、“オマージュであってパロディではない”というものがある。本家である円谷プロも含めて、様々なクリエイターがパロディの対象にしてきた『ウルトラファイト』。しかし、どれもこれも最初の『ウルトラファイト』のようには笑えない。これはたぶん、最初から笑かしに掛かってるからなんじゃないか? 『ウルトラファイト』の可笑しさって、もちろん狙っている部分もあるにはあるが、大部分は天然だろう。山田二郎の実況ナレーションにしても、どこかとぼけた雰囲気が笑いに繋がっているのであって、御本人に笑わせる気はあるまい。作り手のドヤ顔が透けて見えたら、それだけで受け手は冷めてしまう。やっぱり古舘伊知郎ではダメなのだ。


要するに茶化さないということなんだが、エッセンスの抽出の仕方にもこだわった。たとえば、極端に擬人化された怪獣が、コントさながらのやり取りをするエピソードは最小限に留め、本当にただひたすら戦っているだけのエピソードをメインに据えている。野っ原で、海岸で、着ぐるみの怪獣がホテホテと歩く。走る。戦う。これで充分、シチュエーションとしては狂っているのだから。また、『ウルトラファイト』の特定エピソードをモチーフにすることも避けた。「海は青かった」や「怪獣島異聞」、「激闘! 三里の浜」の現代版なんてのはナシだ。だがライフルや木刀あっての『ファイト』ではあるので、ジョルジュ星雲人も武器を握れる腕に換装できるようにしたし、M-16自動小銃も銀色にリペイントして登場させてみた。まあ、ここまでやってしまうとパロディの領域に入ってしまうかもしれないが、でもどうしてもやりたかったんだもん。銃で撃たれて死ぬ怪獣!