大怪獣まんだら

GIGAN YAMAZAKI & WAGAYA FACTORY's blog

早過ぎた葬送曲

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どうしたことだろう……なんて狼狽えるのも失礼な話だけど、第3話を迎えてもなお『ウルトラマンZ』が面白い。特にゴモラの扱いがよかったね。『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』も『ウルトラマンX』も好きな作品だが、完全に定着しつつあったゴモラのベビーフェイスっぷりに抵抗感がなかったといえばウソになる。今回も適当に懲らしめられたところで、当初の予定通り無人島に運ばれるんじゃないかと、最後までハラハラしちゃったぜ。本当に安心した。この番組のスタッフは、ちゃんと比類なき驚異として怪獣を描こうとしている。仮に覚醒する可能性が0.1%以下でも人里から隔離しなくてはいけないし、いざ目覚めてしまったら問答無用で爆殺。*1 やっぱり人間と怪獣の関係性は、このくらい抜き差しならないものでないと、ウルトラの世界観が根底から覆ってしまう。


ただ、『Z』のゴモラに対して、憐憫の目を向けることが間違っているとも思わない。かつてゴモラが善玉へと転向することができたのも、元々持っていた悲劇性ゆえだろうし、そもそも怪獣ってのは可哀想なものなんだ。コング然り、ギルマン然り、初代ゴジラ然り、圧倒的な力を誇りながら、同時に人間の都合に振り回され、最後は滅ぼされてしまう。どうして彼らは倒されなくてはならないのか? 邪悪だから? 否、怪獣だからだ。フジ隊員の言葉を借りるならば、「姿形があたしたちと違い、力がありすぎる」からだ。クマやワニだって、街中に出てきたら駆除しなくてはいけない。まあ、猛獣であれば、生息域に戻したり、動物園で飼育することも可能かもしれないが、そうもいかないのが怪獣だろう。人智を超えた存在である怪獣を、人間が管理しようなんて土台おこがましい話だ。


ウルトラマンコスモス』のTVシリーズが始まったとき、これは子供の教育に悪いなんて冗談を言ったものだけど、実際にそういう側面もあったように思う。たとえばゴメスとリトラが、ペギラザンボラーが同じ場所で生活できるのか?*2 よしんばうまく住み分けることができたとして、そこにレッドキングあたりを放り込んだら一発で台無しじゃないの。だいたい50mを超す連中を、小さな島々に押し込めること自体がナンセンス。あれは結局、自分の手を汚したくない人々の自己満足にしか見えなかった。もちろん、『コスモス』には『コスモス』の世界観があるからいいんだが、やはり現実の常識や倫理観からは逸脱しているところがあり、別の作品にまで持ってきていい感覚ではなかろう。ゴモラは、どうしたって倒さなくちゃいけない。むしろ倒すことで、一度は怪獣帝王にまで登りつめた彼の“格”を維持できるんだ。念仏を唱えるか? 俺は十字を切るよ!*3


プレイヒーローモンスター ウルトラマンモンスターズ 2nd battle セブンガー / バンダイ

ウルトラファイト スーパーアルティメットBOX 特典フィギュア ゴモラ/ ユニバーサルミュージック

*1:おそらく無事に輸送が完了したとして、ゴモラは24時間体制で監視され続けることだろう。そして万が一にも覚醒しようものなら、スフラン島付近に停留している地球防衛軍の艦砲射撃によって排除される――。『Z』のリアリティラインを考えると、最初からそういう作戦だったのではなかろうか?

*2:実際、リドリアスとゴルメデは天敵同士という設定だったはずだ。ちょっと離れた島で管理しておけばいいという話でもないだろう。リドリアスは飛べるし、ゴルメデは地中を掘り進むことができるのだから。

*3:どうしてこんな話をしたのかというと、若いウルトラファンの「ゴモラは殺さず、無人島に連れていってやるべきだった」という意見を目にしたからだ。『コスモス』ならそれでいいかもしれんけど……。そもそも現代と1億5000万年前では、気温も酸素濃度も違いすぎる。花粉にすら苦しんでいたゴモラが、無人島で穏やかに過ごせたかというとはなはだ疑問である。