大怪獣まんだら

GIGAN YAMAZAKI & WAGAYA FACTORY's blog

家、ついて行ってイイですか?

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床山皇帝(@Kaisel_Kaiser)から「テレビ東京の取材班、これから工房に連れていってもいいですか?」と連絡があったのは、去年の6月30日のことだった。深夜12時を回っていたが、いつものように原稿執筆で起きていたので承諾。くだんの番組は、何回か観たことがある。居酒屋や銭湯に来てる人、終電を逃した人などに直撃取材を敢行して、自宅で半生について語ってもらうという内容だ。そのときの床山皇帝も、阿佐ヶ谷駅付近で友人と飲んだ帰り道だったらしい。いや、我が家工房は俺の“我が家”であって、お前の家じゃねーだろ! とは思いつつ、*1 これは我々のいい宣伝にもなるぞと考えたわけです。


ただ、酔っ払ってるときの床山皇帝は、よくも悪くも饒舌になってしまいがちなので、自分が同席していないと何を言い出すか分からない。早速、原稿を一時中断すると、ひとり作業場に降りて灯りをつけた。さも造形作業をしていたかのような顔で、撮影クルーを迎え入れようという算段だ。まあ、床山皇帝の不在中に我が家工房が稼働しているなんて、まずありえない状況なんだが、そのくらいの“演出”は誤差の範疇だろう。もっとも向こうさんは、自分たちの番組がドキュメンタリーであることにこだわっており、そんな些細なヤラセも申し訳ない気持ちになるくらい真面目に撮ってくれていた。知らぬが仏……。


しかしだ。実際に完成した映像を観てみると、随分と分かりやすい“物語”にされてしまったという印象も拭いきれない。案の定、自分が立ち会っていないときの床山皇帝は、意識的か無意識的か、如何にもテレビマンが喜びそうな話をしており、それがオンエアの決め手にもなったのだろう。*2 周りを見返すため、己の名前を残すため……そんな理由でも付け加えない限り、世の中の人間は、怪獣の着ぐるみを作り続けるという行為に納得することができないのだ。それは目的か? 目的のための手段か? あらゆる創作活動について回る問題で、我々にとっての怪獣は前者だったが、こちらはなかなか理解されにくい。


もちろん、我が家工房の怪獣がきっかけで救われた、人生が変わったなどと言われたら、決して悪い気持ちはしない。愛すべき怪獣たちとともに、我々の名前が後世まで残ったとしても同様だ。だが、やっぱりそれは目的にはなりえない。我が家工房の目的は、ただただ怪獣を作り続けること。無理くり理由をひねり出すならば、怪獣になりたい、怪獣を撮りたい、怪獣に囲まれて暮らしたいから作るのだ。番組インタビューでも散々喋ったが、現在は怪獣氷河期である。氷河期を生き抜かないことには、その後の繁栄は望めない。そして最後に生き残ったものが、ニュー・スタンダードになる。もしかしたら色鮮やかで武器だらけの怪獣*3 こそが怪獣らしい怪獣、そんな未来がやってくるかもしれないぜ?

*1:この時点では、うちのマンションに引っ越してくるなんて話は一切なかった。年末以降に来ていれば、もっと我が家工房寄りの映像になっていたかもしれない。

*2:どうやら撮ったはいいものの、そのままお蔵入りになることも少なくないようだ。結局、今回の映像も半年近く寝かされていたわけだが、ちゃんと放送まで漕ぎ着けられたのは、担当ディレクター氏の執念や情熱に依るところが大きいように思う。床山皇帝の身の上話に感動して、「僕のディレクター生命を縣けてでもオンエアまで持っていきます!」と啖呵を切った彼の言葉にウソはなかったということだ。

*3:番組内では『ミラーマン』とだけ切り取られていたが、床山皇帝の偏愛対象は、キングザイガー以降の中・後期ミラーマン怪獣であり、ジャンボーグ怪獣であり、それはそのまま自分の超獣愛、恐獣愛と激しくリンクする。米谷佳晃、井口昭彦、鈴木儀雄ら偉大なる先人たちが手掛けた70'sゴテゴテ極彩色怪獣の再現が、我が家工房の基本理念なのだ。